トヨタ 2000GT ベース
ASK万円
TOYOTA 2000GT 1970年
トヨタ2000GTは、トヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、ヤマハ発動機への生産を委嘱して1967年から1970年まで生産されたスポーツカーです。映画007シリーズにもボンドカーとして発売前に登場。市販されたクルマはクーペボディのみでしたが、撮影には特別制作されたオープンボディが用意されました。こうして発売前にコンセプト・モデルがプロモーションに使われるという手法も当時としてはとても珍しいことでした。それもあって、トヨタ2000GTの搭乗は国内外で大変センセーショナルな出来事となりました。
クラウンの2台分、カローラの6台分というトヨタ2000GTの当時の新車価格は今でも語り草になります。これは当時の大卒サラリーマンの平均初任給が26000円であったことから、計算するとその車両価格は現在の1500万円から2000万円にも相当する価格です。絶対的な価格もさることながら、モータリゼーションも道半ばというこの時代に、そういう価格の国産車を購入するということ自体、特別なことだった訳です。購入できる人は非常に限られたクルマであることがよくわかります。それでもこのトヨタ2000GTはメーカーとして、決して利幅が大きく取れるクルマではありませんでした。逆に、作れば作るほど赤字になると言われた、大変、製造コストのかかるクルマだったのです。
1967年5月に販売を開始し、1969年8月にマイナーチェンジを受けました。1970年8月までの3年3か月の間に337台が生産されたのです。このほかに少数2300㏄エンジンを搭載したモデルや、固定式ヘッドライトの試作車が製造された模様ですが、詳細の生産台数などは定かではありません。マイナーチェンジでは、内外装のデザインの変更や、クーラーの追加、またオプションで3速AT(トヨグライド)仕様が選べるなど、この黎明期の高級スポーツカーは現代のクルマへの進化の方向性を強く示す進歩的な内容を持ったモデルでした。
このクルマは昭和45年に初度登録を受けていますので、最後期の一台。と言えるでしょう。今となっては大変貴重なナンバーを引き継いでいることも見過ごすことはできません。日本人が日本で作った、当時できる限りの技術を注いだ珠玉の名車。このクルマの凛として、存在感のあるフォルム、力強く優美なボディラインを眺めていると時の経つのも忘れそうです。このクルマの魅力は筆舌出尽くしがたいものがあります。